さゆりファーム運営代表プロフィール

さゆりファーム運営代表:小嶋 小百合

1971年、兵庫県明石市生まれ

兵庫県明石市出身。鮮魚仲買業を営む両親の三女として生まれる。

自然栽培を始めようとしたきっかけ

 

カナダ生活中、プライベートスキークラブのカフェテリア軽食部門を担当していたとき、オーガニック野菜を取り扱っていたのですが、とにかく腐敗が早く難儀した経験がありました。体に良いはずのオーガニック野菜が、なぜ腐るのか?その疑問を解決したかった。

当時、農薬を使わないことは決めていましたが、何かしらの肥料は必要だと思っていました。

しかし、いろいろ調べているうちに、「奇跡のりんご」の青森県のりんご農家の木村秋則氏の存在を知りました。

当時発行間もない「農業ルネッサンス」(年4回発行されていたA4サイズ10ページほどの冊子で、今となると貴重です。)の購読を申し込みました。(特典で奇跡のりんごをいただきました。)

愛媛県のみかん農家の福岡正信氏の「わら1本の革命」は、木村氏が紹介されていて読みました。(この本は、いつ読んでも新しいです。)

無肥料・無農薬で米や野菜・果物をつくっている人がいる。

やっている人がいるなら、私にもできるはずだ。やってみよう!

こうして、自然栽培で作物を育てることが始まりました。

農薬を使う栽培ではなく、自然栽培に拘る理由

1. 私自身の体質が、化学薬品に敏感だったので、農薬や化成肥料を使う選択肢が全くなかった。

  1. 小さい頃、遊びに来ていたときは、川遊びもできて水もきれかったけれど、段々と川の水が緑色になっていくのを不思議に思っていました。もしかすると、農薬や肥料が原因ではないか?これまで私たちは十分地球に負荷をかけ続けてきた。もうこれ以上、なるべく負荷をかけたくない、と思うのです。
  2. 日本は世界トップクラスの農薬使用国です。集計方法で差がありますが、トップ3を日本・韓国・中国が占めています。日本は、気候が温暖で雨が多いために、病気や害虫の発生が多いという事情がありますが、最終的に、私たちの健康を脅かす存在なのは間違いありません。
  3. 施した肥料は、作物に10~15%、雑草に10~15%が使われ、土に10~15%残ると言われています。残りの55~70%は、数日以内にガス化して、亜酸化窒素となり大気中に漂います。土に残った肥料も蒸発して亜酸化窒素となります。亜酸化窒素はオゾン層を壊している主たる要因で、過剰肥料は温暖化の原因とされています。土中に残った農薬や肥料は、地下水となり、川を汚し、海を汚染します。
  4. 自分が食べたいものを作りたい。

淡路島で農家を始めたきっかけ

元々、祖父母が農業を営んでいましたが、引き継ぐ者がいない中、祖父が他界。

1人になった90歳前の祖母が住み慣れた土地で住み続けられること、遺された家の修復、人に貸したり動かない農機の置き場と化していた田畑を立て直すため、当時住んでいたカナダから引っ越してきました。

2011年2月のことです。当初、配偶者がいたので彼に農地を託し、軌道に乗るまで私は外で働いて生計をたてようと考えていました。しかし移住間もなく、祖母が認知症を患っていることがわかり、介護のため働くことを断念。
その後、離婚。女1人農業が始まりました。

休日の過ごし方

休日と決めた日はなく、農作業や加工品作り・商品の発送の合間を縫って好きなことだけをしているので、毎日が休日かもしれません。

農以外では、歴史や民俗学に興味があるので、歴史散策や社寺参詣したりします。

自身の闘病体験から、薬膳など民間療法も生活に取り入れているので、そのような書籍に触れる時間もあります。その他、古文書や算命学を学んでいます。

大切にしている言葉、考え方

笑門来福(しょうもんらいふく)―笑う門には福来たる― 

20代の頃、悪性リンパ腫を患いました。この世に生を受けたとき以来の入院。突然死を突き付けられ、人生最大のピンチでした。その時、心に決めました。

「死んだときに、笑顔を思い出してもらえるように、笑って死のう!」

その結果、奇跡の完治を遂げました。生還!!
苦しい時にこそ、笑っていよう。そうすると、めきめきと免疫が上がり、病もストレスも居心地が悪くなって笑顔が集まるのかなって、そう思うようになりました。人の笑顔が大好きです。

その他、生い立ち(興味のある方はぜひ♪)

小学4年生の時、テレビドラマでパタンナー(服のデザイン画から型紙をつくる仕事)の存在を知り、パタンナーになること決意。

大阪文化服装学院に進学、卒業後、ジャヴァグループに就職。念願のパタンナーとして働き始めるも、阪神淡路大震災で体調不良により無念の退職。

その後、結婚。

イタリアンレストランで働きながら調理師免許を取得するも、悪性リンパ腫を患い入院。

病を機に、食に対する意識を高める。

抗癌剤治療と放射線治療・移植・民間療法を取り入れながら癌を克服し、30歳でカナダに移住。

プライベートスキークラブのカフェテリア軽食部門を担当する。

淡路島に住む祖母の介護のため、40歳で帰国。

その後、祖父母の農地を引き継ぐも、離婚。思いがけず、女ひとり農業が始まりました。

研修や実習を受ける機会なく、独学素人農業が始まる。

知識も経験もなく始めた農業は、多くの人の支えにより進化し、現在、米・麦・野菜・果物の自然栽培(無農薬・無肥料)を手掛け、安心安全の食をひとりでも多くの人に届けるべく活動をしている。

資格・こだわり・好きなこと

薬膳アカデミア薬膳セラピスト資格取得。

ヴィーガンべジタリン。

伝統。民間療法。発酵食品。塩。閻魔大王。ゴジラ。福禄寿さん。